平成23年度の税制改正大綱で示された相続税の改正は今も持ち越しとなっていますが、今後これが成立すれば単に相続税が増税になるという話だけでは済みません。
今まで相続税とは無縁だった人も、相続についての民法上・税務上の考え方を正しく理解しておかなければ大変なことになるのです。
相続税が所得税や法人税と比べて明らかに違う点の1つに、『税務調査に入られる確率が圧倒的に高い』ということが挙げられます。相続税を申告した人の実に3割が税務調査に入られています。
そして、現在その調査の最大のターゲットは『名義預金』であるといっても過言ではないでしょう。名義預金とは、『亡くなった人の家族の名義だが、実質的には亡くなった人のものである預金』のことです。
亡くなったご主人(80歳)の財産が、自宅の土地・建物3,000万円とご主人名義の預金2,000万円の計5,000万円だったとします。
ただ、それ以外に、奥さん(75歳。22歳で結婚後ずっと専業主婦)名義の預金が2,000万円、娘さん(50歳。OLを経て25歳で結婚後パート勤務)名義の預金も2,000万円あったとします。
ご主人名義の財産は5,000万円ですから、現在の相続税の基礎控除(5,000万円+1,000万円×法定相続人の数2名=7,000万円)以下です。
従って、一見『相続税はかからない』と思いがちです。しかし、ここで問題となるのが、名義預金です。
現在の税務調査の現場では、「奥さんや娘さん名義の預金は実際は亡くなったご主人の名義預金ですから、ご主人の財産はトータルで9,000万円となりますので、相続税を支払ってください。」と指摘されてしまうケースがかなり多いのです。
では、「いいえ、これは私自身の預金です!」と奥さんや娘さんが反論するためにはどうしたらいいのでしょうか?
それは、奥さんや娘さんがその額の預金を持っていることの正当性を証明するしかありません。
つまり、
自分で稼いだ
(奥さんの場合なら)自分の親から相続した
亡くなったご主人から生前に贈与を受けた のどれかを証明できればいいのです。
「自分で稼いだ」「自分の親から相続した」という場合の証明は比較的容易かもしれませんが、「亡くなった人から生前に贈与を受けた」と証明することは思った以上に大変です。
証拠が無いケースが圧倒的に多いからです。
贈与契約書がある
贈与税の申告書を提出している
奥さんや子供がその預金を自由に使っていた
といった点が証拠としては重要視されます。特に大事なのは?です。いくら契約書や申告書があったとしても、実態を伴っていなければ贈与とはいえません。その意味でも、『貰った人が貰ったお金を管理し自由に使っていたか?』という点が最重要視されるのです。
何故これほど名義預金が問題になるかというと、名義預金については「普通の人の考え方」と「民法上・税務上の考え方」に大きな違いがあるからです。
ご主人が働いていて奥さんが専業主婦であれば、『夫婦の財布は1つ』と考えるのが私達のごく普通の感覚だと思います。しかし、民法は『夫婦別財産制』をうたっています。つまり、『婚姻中に夫の名前で取得した財産は夫のもの、妻の名前で取得した財産は妻のもの、どちらが取得したかはっきりしない財産については2人のものである』といっているのです(民法762条)。
稼ぎのない者には財産は作れない、という考え方です。従って、夫が稼いできた財産はいつまで経っても夫のものにしか為り得ないわけです。
ところが、この夫の財産が妻のものになるケースが3つだけあります。
1つは生前離婚による財産分与です。通常は、夫名義の財産の1/2程度は妻のものと認められ、無税で妻に財産分与が許されています。
2つめは相続です。妻は最低でも1/2の法定相続分を有し、それ以内の遺産取得であれば相続税もかかりません。
そして3つめが生前の贈与です。この3つ以外に夫から妻へ財産が勝手に移るということは、民法上も税務上も認めていないのです。
専業主婦の妻が夫の給料をやり繰りして毎月数万円をコツコツと妻名義で積立てていた・・・。このような例は世の中に数え切れないくらいあります。
この妻名義の預金(=ヘソクリ)は果たして妻のものでしょうか?言い換えれば、生活費の残りについて夫から妻へ贈与があったと言えるのでしょうか?
答えはNoです。
贈与とは民法上の諾成契約です。「あげます」「もらいます」という双方の意思表示さえあれば成立します。もちろん、もらった方が自由に自分の意思だけでそれを使えるようになっていなければ、もらったことにはなりません。
ところが、上記のようなヘソクリについては、夫婦間で「あげます」「もらいます」という明確な意思表示があったとは言えないケースが大半です。
また、仮にそのような意思表示があったとしても、夫は奥さんが自由に自分のためだけに好き勝手に使うことまでを容認していたのではなく、2人の老後のため、あるいは家族の突発的な資金需要に備えて管理を任せていたと考える方が普通ですし、奥さんもそのつもりで積み立てていたはずです。
つまり、「贈与の意思表示がない」「貰った人が自由に自分の意思だけで好き勝手に使える状態になっていない」以上、“贈与は成立していない”ということになります。従って、夫が亡くなったときにはこの妻名義の預金は夫の名義預金と認定され、相続税の課税対象財産となるでしょう。
また、名義預金は税金の観点からだけ問題になるのかというとそうではなくて、民法上の遺産分割の局面からも大きな問題となってきます。例えば、冒頭の家族に息子もいたとします。
亡くなったご主人の財産が5,000万円であれば、息子の法定相続分は1,250万円です(5,000万円×1/4)。ところが、奥さん名義の預金も娘名義の預金も実際はご主人の財産(名義預金)だとすれば、ご主人の財産は計9,000万円となり、息子の法定相続分は1,000万円増えて2,250万円となります(9,000万円×1/4)。
どこまでが亡くなったご主人の財産だったのかを巡って、家族間で遺産分割協議が紛糾するのは必至でしょう。
今まで相続税に無縁であった人達は、この様な民法上・税務上の考え方をほとんど知りません。これはほんの一例です。相続税改正論議を単なる増税問題という視点のみで捉えていると、痛いしっぺ返しをくらうことになりそうです。