一、はじめに
医療の発達により、女性の平均余命は約89歳、男性は約81歳と「人生100年」の超高齢化社会に突入しています。
しかし、平均余命と健康寿命との間には10年近くの開きがあるといわれ、高齢化による認知症等により本人が自らの預金などの財産を管理せず、事実上その預金の管理を子の一人などに委ねるケースが増えています。
その結果、なかには、預金の管理を任せられた子供が、親の預金について、生前多額の引き出しをし、他の相続人との間で生前の預金の無断引き出し・費消をめぐって紛争が生じているケースが増えています。
親が亡くなった後、遺産分割のために預貯金の調査をしたところ、知らない間に親名義の預貯金口座からお金が引き出されていたことが判明する場合があります。
このように一部の相続人によって相続預貯金を使い込まれたことが疑われる場合に、他の相続人は相続預貯金を使い込んだ相手方に対して返還請求をすることができます。
これは、不当利得返還請求権(民法703条)または不法行為に基づく損害賠償請求権(民法709条)という法律上認められた権利に基づいた請求です。
預貯金の使い込みは、その行為が相続開始前(死亡前)か相続開始後(死亡後)かに分けて考えます。
二、生前の無断引き出し等について
1、被相続人の死亡前の引き出し・使い込み
被相続人の死亡前の引き出し・使い込み行為は、「被相続人」の権利を侵害しています。
相続人は、預貯金を無断で引き出した相続人に対し、被相続人から相続した請求権を行使して金銭請求を行うことになります。あくまでも権利を侵害された直接の被害者は被相続人で、相続人は、被相続人が権利を侵害されたことにより取得した不当利得返還請求権等の権利を相続したことになります。
よって、相続人の不当利得返還請求権や損害賠償請求権が認められるか否かは、被相続人の意思に反して預貯金が引き出されたかによります。
三、被相続人の死亡後の引き出しについて
1、被相続人の死亡後の引き出し・使い込み
被相続人の死亡後の引き出し・使い込み行為は、「相続人」の権利を侵害しています。
この場合は権利を侵害された直接の被害者は被相続人ではなく、預貯金を相続した相続人ということになります。
法定相続人が相続開始(死亡)と同時に法定相続分で預貯金を相続するので、他の法定相続人が自分の相続分を超えて下ろした行為は横領行為と想定され不法行為、不当利得となります。法定相続人は、自分の権利を侵害されたとして、不当利得返還請求、損害賠償請求ができます。
2、相続法改正による不公平の是正
平成30年7月に相続法の改正法案が国会で成立・公布されました。
今回の相続法改正により相続開始後の共同相続人の財産処分についての不公平を是正する法改正がなされました。
例えば、相続人が長男、次男の2名で、長男が生前に2000万円の生前贈与を受けて、被相続人死亡時の預金が2000万円であった場合、本来、長男は生前贈与の2000万円の特別受益を遺産の前渡しで受けていることから、次男が被相続人死亡時にある2000万円の預金を取得できる筈です。
しかし、長男が相続開始後に被相続人死亡時にあった預金2000万円のうち1000万円を無断で引き出した場合、次男が被相続人死亡後の1000万円の長男の無断引き出しについて不法行為・不当利得で請求して認められても、改正前は次男の請求金額は被相続人死亡後の無断引き出しのうち次男の法定相続分の2分の1の500万円しか認められないことから、長男は生前贈与の2000万円と無断引き出しの1000万円から500万円返還し、2500万円を結果的に取得するのに対し、次男は残った1000万円と500万円の返還金の1500万円しか取得できないという不公平な事態が生じていました。
今回の法改正により、共同相続人の一人が死亡後に財産処分した場合について、処分された預貯金を遺産分割の対象に含めることが可能となり、不当な出金がなかった場合と同じ結果を実現できることになりました。
よって、法改正後は、長男は生前の2000万円以外の無断で出金した1000万円については、1000万円を代償金で精算しなければならなくなり、取得分は生前贈与の2000万円のみとなり、次男は残った残余金の1000万円だけでなく、長男が死亡後に勝手に引き出した1000万円も代償金として取得できるようになり合計2000万円を取得できることになり、不公平の是正が図られることとなりました(新民法906条の2)。
四、使い込みが認定されやすいポイント
1、引き出し金額、回数など
<使い込みが認められやすいケース>
◎引き出し金額が高額、引き出し回数が頻繁
→ 通常高齢者が生活するうえで、多額の金銭が必要になることは少ないため。
◎引き出し時期が死亡直前、死亡後
→ 死亡直前の場合は、金銭を必要とする事情がなく、死亡後は準共有する相続
預貯金を他の相続人の意思に反して引き出したことになるから。
<使い込みが認められにくいケース>
◎引き出し金額が少額
→ 生活費に使用されたということが推測されるため。
◎現金保管されていた金銭の使い込みの場合
→ 例えば金庫に入れてあった現金の使い込みが疑われる場合に、金庫の中に現
金が保管されていたことを立証するのが困難なため。
相続預貯金口座から高額な引き出しがされていることが判明しても、被相続人本人または被相続人から財産管理を任されて相続預貯金を引き出していた場合は、使い込みがあったと認められません。使い込みに対する返還請求が認められるためには、被相続人の意思に反して行われたということを立証する必要があります。
したがって、裁判では相続預貯金を引き出した側(被告)としては、被相続人の生活費に使用するためにお金を引き出したということを反論しなければなりません。
2、当時の本人の判断力の程度
引き出し当時の被相続人の状態に関する医師の診断書や介護施設の記録、カルテ等を取り寄せて確認し、例えば被相続人が重度の認知症だった場合、相続預貯金を引き出すことができる状態ではないため、本人の意思に反するものであると立証することができます。
認知症にも程度があるため、認知症の診断があるということだけでは不十分で、被相続人自身が金銭管理ができる状態ではなかったことまで立証する必要があります。
相手方の反論次第では、被相続人の認知状態が悪かったとしても、身体状態が健全であった場合は、被相続人本人が引き出し行為をできる状態だったと裁判所に判断される可能性があります。
他方で、被相続人の身体状態が悪かったとしても、認知状態が健全である場合は、被相続人が他の相続人に引き出しを指示したうえで、被相続人が最終的に引き出した相続人から現金を受け取った可能性があり、本人の意思に反する引き出しではなかったと裁判所に判断される可能性もあります。
したがって、被相続人の状態については、認知状態と身体状態を総合的に確認する必要がありますが、特に被相続人の当時の認知障害の程度が重要になります。
被相続人が、生前、アルツハイマーなどの認知症で病院に診断・治療を受けている場合は、病院のほうで認知症の検査(長谷川式、MMSEなどの簡易式認知症検査)を受けているのが通常です。このカルテを取り寄せて、長谷川式などの認知症検査の結果を確認すれば、当時の本人の判断力の程度が推察できる場合が多いです。
3、無断費消についての裁判例
<使い込みを認めた判例>
東京地裁平成28年8月25日判決
被告が被相続人の財産を不当に取得したものであるとして、不法行為に基づく損害の賠償を、選択的に、悪意の受益者としての不当利得に基づく利得の返還を、いずれも原告らの相続分に応じた金額について求める事案について、被相続人の財産管理を一手に引き受けていた被告において、その使途等を具体的に明らかにできず、また、生前贈与と主張する金額相当分には根拠がないこととなるので、財産管理に違法性が認められ、法律上の原因なく被告が利得しているものと認められると判断した。
<使い込みを否定した判例>
東京地裁平成25年3月28日判決
被告らが、本件通帳等を管理するに至った行為や同通帳から合計155万円を引き出した行為が、亡X1の意思に反して無断で行われた不法行為であるとは認められないし、これらの現金を自己の用途に支出した事実を認め得る的確な証拠がない以上、被告らによる不法行為であるとは認められないと判断した。
※被相続人の意思に反して預貯金を引き出したことが立証できれば、裁判では使い込みが認められる可能性が高いです。
五、認知症の親の預金が、一部の子により管理され使い込みが疑われるケースに
ついて、どのようにして使い込みを防ぐべきか
1、早期の対応が必要
親御さんが高齢になり、アルツハイマーなどで施設に入っていて、地元の子が親の預金を管理しているが、その子供によって親御さんの多額の預金が無断で費消されているリスクがある場合にどのように対応すべきでしょうか。
そのような不安・リスクを放置したまま、親御さんが亡くなってしまい、死亡後に相続人として預金の開示をしたら、多額の預金が生前に預金を管理していた子供によって引き出されていて、預金が殆ど残っていなかったというケースが現在増えています。
この場合、親御さんが亡くなった後に、その預金を使い込んだ子供を相手に不法行為或いは不当利得の損害賠償請求の裁判を提起することはできますが、親御さんが死亡した後から裁判で対応するということになれば、訴訟の費用・対応が大変であるとともに、訴訟においても無断費消について全額認められるか、裁判で勝っても使い込んだ子供が既に使い込んでしまってその人から回収できないなどの場合もあり得ます。
2、法定後見の活用を検討すべき
そのようなケースにおいては、法定後見の申立てをすることで、一部の子によって親の預金が勝手に使われるということを防ぐことを検討すべきと考えます。
成年後見の申立てをして、成年後見人として、裁判所が選任した専門後見人である弁護士・司法書士が選任されることによって、認知症の親の預金を管理している子供が勝手に使い込むということを事実上回避することができます。
また、成年後見制度においては、中立・公正な裁判所から選任された弁護士・司法書士の専門職後見人が採用されるか、或いは、後見信託制度といって親の預金などの財産を信託銀行に信託することで財産管理をするという制度が現在積極的に活用されています。このような法定後見における後見信託制度を活用することによっても、一部の子が認知症の親の預金を事実上管理して生前にそれを勝手に引き出して費消してしまうという事態を防ぐことができると考えます。